——レジスタンス、それはプログラミングされた心の解放、
それを仕組んだプログラマー達に対する闘争。
× × ×
世界は今、インプラントデバイスの爆発的な普及により、新たな産業革命時代を迎えていた。インプラントはあらゆる分野に組み込まれ、いまやその市場規模は20兆ドルともいわれている。既に世界人口の約70%が、体にインプラントを埋め込むマウント手術をしているといわれており(その大半は、全身の神経が集中する首元にスリットマウントを埋め込むもの)、もはや現代を生きる人類にとって、インプラントは必需品となっていた。
元々は軍事、医療分野で開発されていたインプラントの目的は、人間の体を「デバイス化」させることだった。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。
それら人間の五感で手に入れる情報を、インプラントはネットワークから直接人間の神経と脳に送り込むことを可能とする。
戦場では、司令部は必要な戦局情報をデバイス化した軍人の体に直接送ることができ、また軍人は自分が必要としている戦場の情報を、直接自分の体に取り込むことができる。煩わしい通信機器や外部デバイスなど必要なく、軍人ひとりひとりがネットワークで繫がりあうことで、効率的な戦局を構築した。
医療現場では、失明や失聴など、失われた五感情報をインプラントを通じて直接脳に送り込むことでの代替感覚を可能にしたり、ベッドから動けなくなってしまった患者を、インプラントネットワークでヴァーチャルに好きな場所へと連れて行くことも可能にした。
また治療の難しい神経、脳の病気への新しいアプローチを開拓するなど、インプラントは戦場の兵士だけでなく、多くの患者も救った。
インプラントデバイスはまさに新しい技術革命だった。
そして、その技術が一般社会に落とされると、PCや携帯端末などの外部デバイスはすぐさま前時代的なものとなり、瞬く間に世界中に広がっていった。皆、体にインプラントを埋め込み、脳と神経をネットワークに繋げた。インプラントから体に流れ込んでゆく疑似情報は、今までとは比べものにならない情報量を人間に与えていった。
知識も、体験も、感動も、娯楽も、
全てインプラントを通じ、脳と神経が感じとることができる時代になったのだ。
そして体は、ただのデバイスでしかなくなった。
× × ×
午前3時。東京、秋葉原。
オタクの街として世界でも知られたこの街は、東京でも屈指の観光地として長年多くの観光客を楽しませている。そんな秋葉原は現在、インプラントを通じた大量のミックスドリアリティ広告(MR)が街中を彩る、いわば巨大ヴァーチャルネオン街とでもいえるような、華やかな街となっていた。
ビルというビル、道という道に貼られた煌びやかな映像と音が、インプラントから直接、この街に訪れた人々の五感を楽しませている。その光景は世界でもここでしか見られない特殊な風景で、インプラントを使ったヴァーチャル観光で訪れるよりも、直接足を運ばないと体験できないというのがウリになっていた。
しかし未明の秋葉原は、日中の賑やかさとは裏腹に歩く人はほとんどおらず、ひどく静まりかえっている。前日の夕方から降り始めた雨がさらに勢いを増し、静まりかえった街をさらに闇に包み込んでいるようだった。
そんな街に、みすぼらしい姿をした中年の男がひとり歩いている。その見た目から、ホームレスであることが容易に想像ができるほど汚らしい格好のその男は、ビニール傘と大量のペットボトルを括り付けた自転車をひきながら、ねぐらのある高架下へと向かっている最中だった。
男の目に映る秋葉原は、いつも通りのグレーだった。日中であろうが未明だろうが、男にとって秋葉原という街は、常にグレーで冷たい街という印象だった。マウント手術を行っていない男の目には、MR広告が網膜に映し出されることもなく、それに合わせた広告音楽が聴覚に流れ込むこともないからだ。
男にとって秋葉原とは、観光客が多く集まり、ペットボトルが集めやすい街。そして男のような、ネットワークからはじき出されたオフラインの人間を隠すには最適な街だった。大量のMR広告は観光客から男の姿を隠し、観光客たちは男の存在を感じることはなかった。自分に目を向けられることも少なく、男にとっては逆に住み心地の良い街だったのだ。
ねぐらにそろそろ着くころ、ふと男はあるビルの前で立ち止まる。男は気がついた。雨音とは違う、何か重い「音」が聞こえることに。
またか・・・・・・男はそう思っていた。以前にもあったのだ。夜、男のねぐらにも響くドンドンという音。それに耐えきれなくなった男は、以前ビルに飛び込み、文句を言ったことがあった。
どうやらここはクラブで、大音量で若い連中が夜な夜な踊っていることを男は知っていたが、こんなに外まで音が響くことはほとんど無かった。
ただ数ヶ月に一度、たまにあるのだ。こうやって外にまで音が響くことが。しかも自分以外に、それについて文句をいうものがいないことも不思議だったのだが。
今回も怒鳴り込んでやろうかとも男は考えたが、勢いが増す雨の中のペットボトル集めは、想像以上に体も心も疲弊させ、文句をいう気力は既に残っていなかった。
時間は3時過ぎ。流石にそろそろ終わるだろうと考えた男は、今回は見逃してやることにした。まったく・・・・・・バカ野郎どもが。ブツブツ独りごちりながら、男は体を休めるためにねぐらへと急いでいった。
そのビルの1F『MOGRA』と呼ばれるクラブのドアは、既に『CLOSED』の札がかかっていた。中の1Fのラウンジフロア、カウンターにも既に誰もおらず雑然としているが、煌々とライトはついたままだった。
室内のドア横には『ENTRANCE』と書かれた札がついた机と、誰かが座っていたであろう椅子が無造作に置かれたていた。机には飲みかけのカクテルグラスと、バラバラになっているドリンクチケットが数枚散らばっている。
ラウンジの壁にはTFFと書かれたパーティーフライヤーが、そこかしこに貼られている。よく見るとDJのプレイ順が書かれたタイムテーブルの終わりは23時になっているが・・・・・・。
ビビッ ビビッ ビビッ ビビッ
突然、どこからか重い振動が響き始める。それはラウンジの壁を揺らし、カクテルグラスに残る、氷で薄まったスクリュードライバーの水面にも波紋を作っていた。
定期的、そして規則的に。
まるで心臓の鼓動のようなその振動は、恐らくこのクラブのどこかで流されているトラックのキック音だと思われる。だがなぜか音楽自体がここには聞こえてこない。
しかし確かに、その鼓動は響いている。このビルの地下から。
聞こえないのだ。ある人間にだけは。
インプラントによってデバイス化され、聴覚をネットワークに支配されているものには、ここで流れている音楽を聴くことができなかった。インプラントを外し、肉体をオフラインにしたものにだけ聞こえる音楽が、地下のフロアを埋めつくしている。
ネットワークから切り離したものにだけ入ることが許されるフロンティア。
デバイス化された肉体を拒絶するパーティー。
それが今MOGRAで行われているパーティー。
『TFF』
× × ×
MOGRAの地下メインフロア。鼓動はここから放たれている。
薄暗い闇のなかで時折光る青いレーザー光線が、メインフロアで踊るオーディエンスたちを浮かび上がらせている。人数でいえば、恐らく30人くらいはいるだろうか。ほぼ全員、インプラントを外している彼らは、巨大なスピーカーから放たれる定期的に響く鼓動のような重いキック音、そして無機質な電子音が幾重にも折り重なりメロディに合わせ、体を揺らしていた。
このフロアの音楽を、熱気を、彼らは己の鼓膜、体全体で感じってとっていた。そんな彼らを祝福するように、音楽は踊る彼らの体を包み込んでいた。
フロアの奥では、DJがミキサーを操っている。彼の時折動かすミキサーのつまみが、ループする電子音に揺らぎが与え、それはグルーヴとなり、フロア全体の熱気を高めていく。
しかしそのグルーヴは決して派手なものではなく、微細な変化ではあるが、無機質な電子音に魂を与えているかのようだった。その音楽が熱気を高めれば高めるほど、なぜか不思議とフロアをクールに演出していく。
段々と、薄い闇の向こうから、メロディックなシンセ音が浮き上がり始める。新しいトラックをDJがミックスし始めた。2つのトラックの鼓動は合わせられ、新たな息吹がフロアに広がっていく。オーディエンスの全身が多幸感に溢れていく。
今フロアを支配しているDJ。彼を皆『MM』と呼んでいる。TFFと呼ばれるこの異端のパーティーを主催している男だ。口元にマスクをしており、正確な顔立ちを確認することはできないが、恐らく40代くらいの男性にみえる。
中肉中背のその男は、自分のかけているレコードから紡ぎ出される鼓動に合わせ体を揺らし、今まさに、最後の演出へとフロアを導こうとしていた。
現在およそ50人ほどのフォロワーたちによってTFFは支えられている。MMは数年前からこのパーティーを主催していた。しかしデバイス化された体には聞こえない音を鳴らす方法や技術の詳細、また彼の経歴を詳しく知るものは少ない。
広告活動なども積極的に行うことはなかったが、口コミなどを通じ、MMが紡ぎ出している音楽に惹かれたものたちが、この特異なパーティーを支えていた。
『レジスタンス』
MMはTFFの目的をそうフォロワーたちに伝えていた。
そのレジスタンスの意味とはなにか?
既にタイムテーブルに書かれたクローズの時間はとうに過ぎ、パーティーは終焉へと向かっていた。
□ □ □
ドン ドン ドン ドン
音がボクを支配していた。
頭のなかは色々な言葉が乱れ飛び、この状況をなんとか理解しようとしていた。
この音はどんなシンセ、なんのモジュールを使っているんだろう。
一体どんなアーティストが紡いでいるのか。
ウワモノの入り方が良い。イケてる。
今のエフェクトはトラック? それともDJ?
繋ぎがわからない。どこからどこまでが、どのトラックなのか。
DJの構成で、こんなにもフロアの印象が変わるのがテクノなのか。
そんなことをずっと頭のなかで、グルグルグルグル、考えていた。
ときどきなにかを理解できた気になったりするけど、しばらくするとそれは間違いだったと考え直す。そしてまた言葉が頭の中を行きかう。その繰り返し。
頭の中が、フロアのグルーヴと同期するようにループしていた。
結局、答えなんかみつからない。いや答えなんか出す必要もないのかもしれない。
こうやってなにか言葉を紡ぎ出そうとしていること自体、そもそも間違いなんだろう。
フロアを苦しいほど満たし続ける、この終わらないテクノのビートに身を任せているだけできっといいのだ。踊り続けるだけ。それが全て。
踊りながら、ボクの心はずっとそんな風に揺蕩っていた。
なんだか頭と体が別々になっているような気分だ。
そうやって何時間も踊り続け、音に身を任せていると、まるで深い海の底に、ひとり沈んでいくように錯覚する。前後左右に踊る人間のことなどまるで意識できなくなり、逆に踊っている自分を強く意識するようにも感じた。
フロアの上から俯瞰で自分自身をみているような、そんな不思議な感覚を覚える。
しかしそれは孤独ではなかった。
このフロアのオーディエンスたちとの一体感を強く感じる。
一心不乱に踊り続ける人。
直立不動のままDJブースを見つめる人。
友達とじゃれあっている人。
そんなフロアの動きすべてが、ボクに時折、感じたこともない恍惚感を与える。
矛盾した感情と、
考え続ける頭と、
踊り続ける体が、
そして、ボクの前で踊る彼女も・・・・・・。
すべてが、テクノを媒介してフロアに溶け合っていた。
歓声が上がった。
ハッとした。メロディアスなシンセのトラックがフロアの空気を変える。どうやら他のオーディエンスたちはこのトラックを知っているようだった。
なんとなくわかった。このトラックがエンディング。
パーティーが終わる合図なのだ。
そう察した瞬間、ボクは闇に向かって声を上げていた。ライブやパーティーで声を上げるなんて、正直ちょっとダサいな、なんて思っていたけど、そんなことは忘れて、ボクはラストのDJを称えるために叫んでいた。自然と。誰に言われたわけでもなく。
DJはその歓声に応えるように、強くエフェクトを音にかけ始める。
新たに紡ぎ出されるグルーヴは美しく、しかし同時になんだか悲しくも感じた。
まだ終わって欲しくない。そんな、ワガママな感情がボクの中に渦巻く。
テクノを、音楽を・・・・・・まだ止めないで。このまま、まだしばらくは・・・・・・。
この特別な時間の終わりを、感じたくなかった。
しかしビートは収まり、代わりに泡のように粒立ったの電子音が、ボクたちの全身を包み込んでいく。フロアの景色が変わったように感じた。
そして段々と、ゆっくりとフェードアウト。
音が止まる。
終わりが、訪れてしまった。
現実に返りたくない気分だった。
フロアの残響は、ボクのなかでまだ鳴り続けていたから・・・・・・。
歓声と拍手が挙がる。
それに応えるように、DJがマイクを取って何かを話している。しかし彼の言葉がよく聞き取れない。インプラントを抜いたボクの生身の耳は、スピーカーからの大音量にヤラれてしまったようで、音がこもって聞き取りづらくなっていた。
ほとんど何を言っているのかわからないまま、彼はオーディエンスたちの拍手とともに、ブースから降りていった。
「心の解放。レジスタンス。」
なんとなくそんな言葉だけが、かろうじて聞き取れた気がした。
ライトでフロア照らされる。
今まで闇のなかで見えなかったオーディエンスたちの姿が浮かび上がる。それを見た瞬間、今まで感じることのなかった孤独感がボクに訪れる。闇の中で音と一体になっていた仲間たちとの繋がりが、ライトの光によって失われてしまった気がした。
喉が、渇いた・・・・・・。
そんな孤独感とともに、強烈な渇きがボクの体を突如襲った。
追い立てられるように、ボクはフラフラとフロアの出口へと向かって歩いて行く。体が思うように動かない。一体何時間ボクは踊っていたんだろうか。一歩一歩前に進むが、まるで宙を歩いている気がする。なんだか現実感が薄い。体が疲れているのもそうだが、なんというか自分という存在が、まだ体に戻ってきていない気がした。今歩いている自分は、大音響で魂が追い出されてしまった、抜け殻なのかもしれない。
出口の扉のノブに手をかけると、同時に誰かの手がボクに触れた。
顔を上げると、そこには・・・・・・。
「ねえ、キミ大丈夫?」
さっきまでボクの前で踊っていた、みんなからサリュと呼ばれている彼女が、僕の顔をのぞき込んできた。彼女の声も、こもって良く聞こえなかったけど、その顔は、なんだか心配そうにしているように見える。そんな酷い顔をしているんだろうか、ボクは。
「ああ・・・・・・うん大丈夫大丈夫。なんかすごい喉が渇いてさ」
彼女にそう答えた自分の声もこもっていて、上手く喋れているのか自信がない。ボクは自分の喉を指で差し、ジェスチャーも交えて彼女に伝えた。
「そうだよね・・・・・・めちゃくちゃ踊ってたもんねキミ。まあ、アタシもだけど」
そう言いながら笑う彼女。
その顔を見た瞬間、記憶が少しずつ思い出された。
ボクはフロアで何度もサリュに話しかけていた。
彼女もボクに話しかけてくれた。
内容は・・・・・・興奮していて良く覚えていないけど。
確か、これサイコー! とか、今のミックスヤバイね! とか、このトラックやばくね! とか、そんなことばっかりだったような・・・・・・。それは会話というより、テクノの興奮を、目の前の彼女にただぶつけていただけだったのかもしれない。
「アタシも喉カラッカラ。ラウンジ上がってなんか飲もうよ」
彼女はフロアの扉を開けるとボクの前を歩き、階段を上っていった。ボクもそのあとに続いて階段を上がっていく。それは、このフロアに招かれたときと同じだった。MOGRAについてから、ずっと彼女はボクを導いてくれていた。
上りながら、彼女がボクに振り返り話しかけてくる。
「そういえば途中でお酒驕ったよね? フロアに入ってから、アタシ結局あれしか飲んでないや」
そうだった。一度、DJが代わったタイミングで、フロアのバーでサリュからお酒を驕ってもらったんだった。ここにきてから、ボクも結局あれしか口にしてない。
そういえばそこでも、興奮気味にテクノやDJについての感想を彼女にまくし立てていた気がする。正直それも何を話したのかも思い出せない・・・・・・。というか、今日初めて会った女の子に対して、ボクは随分と恥ずかしい姿を見せてしまっていたのかもしれない。そんなフロアの出来事を思い出す度、気恥ずかしくなって上を歩く彼女の顔をまともにみることができなくなってしまう。
「てかさ、最後のDJ、MMがDJやるのって珍しいんだよ。アタシも初めて聴いた・・・・・・マジでめちゃくちゃ良かった。なんか色々DJ聴いてきたけど、やっぱDJが違うだけで全然違うんだって驚いちゃった・・・・・・」
うつむくボクに振り返りながら話す彼女。その声はさっきと違いハッキリ聞こえた。こもっていた耳が、段々と元に戻ってきているようだった。自分という存在が、自分の体に戻ってきているのを実感する。
階段を上りきり、ラウンジに繋がる防音扉に着く。
「で・・・・・・どうだった? キミは」
突然サリュがボクに問いかけてきた。
「え・・・・・・いや・・・・・・マジで良かったよ。ホントに」
不意な彼女の問いかけに、ボクはちゃんとした受け答えができなかった。どうやら耳と違って、頭はまだ戻りきっていないようだ。ボクのその適当な言葉を聞き、改めて尋ねてきた。
「ホントにー?」
「ホ、ホントホント。マジで。えっと・・・・・・なんていうか、こんなのEDIでも体験したこと無かったっていうか・・・・・・もっと派手っぽいジャンルでEDI聴いてるときは、体のエフェクトの良さばっかり気にしてたけど・・・・・・」
まだ戻りきらない頭から出た自分の言葉に、ハッとした。
そう。いつのころからかボクは、音楽を「聴いて」いなかったのかもしれない。
インプラント、そしてEDIを使って、世界中にある大量の音楽を聴覚に送り込み、そして擬似的に世界中のクラブ、フェス、イベントに参加してきた。それに飽き足らず、EDIを使って、様々な身体エフェクトを試し、聴覚だけではなく、体中の感覚を使って音楽を感じとってきた。
それってもしかしたら音楽を「聴いて」いるんじゃなくて、音楽を使って体に「刺激」を送り込んでいただけなのかもしれない。
でも今日ここで、いつもヴァーチャルに参加していたMOGRAのメインフロアに実際に立ち、インプラントの聴覚情報じゃない、自分の鼓膜と体で音の洪水を浴びたことで、音楽を「聴く」ということを久しぶりにちゃんと味わったように感じた。
そしてその音楽・・・・・・テクノと呼ばれる音楽の、極めてソリッドな音楽でありながら、定期的に刻む電子音のビートとメロディ。それを繋ぎ続けてグルーヴを作り出すDJ。
それら全てが、EDIの刺激情報では得られなかった、心の底から湧き上がる開放感と興奮をボクのなかに生み出してくれたように感じた。
「『エフェクトの良さばっかり気にしてた』・・・・・・けど? どうしたの?」
思い巡らせフリーズしてしまい、言葉の続きが出ないボクをみて、焦れるようにサリュが言った。・・・・・・ようやく頭も戻ってきたようだ。今ならもうちょっと気の利いた言葉をサリュに返せるかもしれない。でも、彼女に今伝えるべき言葉は、もうこれしか思いつかなかった。
「なんていうか・・・・・・テクノってマジでサイコーだ」
そのボクの言葉を受けて、ちょっと驚いた顔をしたサリュ。
でも、その顔はすぐにニヤけた。
「・・・・・・やったね!」
そう一言いうと、サリュは防音扉のノブに手をかけ、一気に開け放った。
ラウンジの空気がボクらの体を包む。一気に現実感が戻ってきた。
その瞬間、その場にへたり込んでしまいたくなるくらい、よろめく。体が、この現実を受け止められないような気分がした。この扉を開けるまで、ボクはずっと夢のなかにいたのかもしれなかった。
今の瞬間まで、ボクは何をしていたのか。なにを考えていたのか。
きっと・・・・・・なにも考えていなかった。
いや、そんなことはない。ずっと考えながら、ボクは踊っていたんだ。
このテクノと呼ばれる音楽のことを。
□ □ □
1Fのラウンジに上がって、バーでビールを頼んだ。喉がカラカラだった。ふと奥の時計をみてビックリした。
午前5時? 改めてポケットにあったくしゃくしゃのTTを確認すると、パーティーのクローズは23時になっていた。まさかこんなに時間を気にせず踊り続けていたなんて・・・・・・。そりゃ体もヘロヘロになっているに決まってる。というか、良く倒れずに済んだなと自分自身にビックリしてしまった。と同時に急な眠気が襲ってきた。
ラウンジでは、さきほどまで同じ空間を共有していたオーディエンスたちが、思い思いにバラバラと去って行くのが見える。またハコのスタッフと思われる男性は粛々とクローズの準備を進めていた。
ビールを受け取ったボクは、フラフラとバーから離れ、ラウンジの壁にもたれ掛かりながら、そんな様子をみていた。ふと『夢の終わり』なんていう、そんなセンチメンタルな言葉が頭をよぎる。
特に今日は予定があるわけではないけど、さすがにそろそろ帰ろうか・・・・・・もう電車も動いているはずだ。ふとインプラントで始発の時間を網膜情報に映し出そうとして気がついた。サリュにあの変なEDIを抜き取られてからずっと、体はオフラインのままだったのだ。普段だったら1秒だって耐えられないくらいネットワークの情報に依存していることは普段から自覚していたが、でもなぜか今は、しばらくこのままでいたい気分になった。普段使いのインプラントを挿入した瞬間、本当に夢が終わってしまう気分がして・・・・・・。
そんなことを思いながら、チラッとラウンジのバーカウンターを見る。そこには人だかりができていた。TFFのスタッフたちだろうか。10人くらいが楽しそうに歓談していた。
フロアで踊っているときは全く気にもしなかったが、年齢にかなり幅があるようにみえる。大体は自分とかわらない20代が多いようにもみえるが、そのなかには40代のオジサンみたいな人もいるし、高校生にもみえる幼い顔立ちの女性の姿も見える。
サリュもその輪の中にいた。ボクは自然と彼女を目で追っていた。フロアの照明に照らされていたときよりも、なんだか大人っぽく見える気がする。もしかしたらボクより少し年上かもしれない。一見近寄りがたさも感じるクールな印象を持っているが、その印象からは想像出来ないような、屈託のない笑顔が時折こぼれる。そのギャップが、彼女をより魅力的にしているように感じた。
ボクの視線に気づいたのか、話から外れ、サリュがボクに近づいて話しかけてきた。
「おつかれ。ねえ、このあとってなにか用事あるのかな?」
その言葉に一瞬ドキッとする。
「え・・・・・・いや、さすがに疲れたから、そろそろ帰ろうかなと思ってたけど」
「そっか・・・・・・。でもまあそうだよね。アタシも疲れちゃった。朝までこんなに踊ったの初めてだったし。キミもでしょ?」
サリュはイタズラっぽく、そうボクに笑いかけた。
「・・・・・・あのさ。折角朝までみんなもいるし、これからちょっとご飯でも食べようかって話になってるの。そんなに長い時間にはならないと思うんだけど、良かったら一緒にどうかなって思って」
「え? ボクも、ってこと?」
「うん。アタシのイタズラ・・・・・・あの半々のEDIのことね。それに付き合ってくれたお詫びもしたいし、あとメンバーにもキミを紹介したいなと思って」
なんか新鮮な気持ちだった。大学でも(とはいえほとんどインプラントで仮想授業に参加しているだけだけど)、こんな風に誰かにリアルで誘われたことなんてなかったから。友達はもちろんいるけど、いわゆる陰キャ気味のボクが、今日初めて会った人たちから食事に誘われるなんて、それがなんというかちょっと信じられなかった。
だけど・・・・・・ボクもまだこの夢の終わりを迎えるのを惜しく感じていた。きっと彼女もそうなのかもしれない。ボクはもっと知りたくなっていた。
TFFのこと、テクノのこと、そして・・・・・・サリュのことも。
「うん、もちろん。今日は別に何の予定もないし、あとはもう帰って寝るだけだし。他のメンバーの人たちの邪魔にならないなら」
「やった。じゃあ先に外に出てようか。みんなはあとから合流するって。用意するからちょっと待ってて」
そう言って、サリュは輪の中に戻っていった。
ボクは手元のグラスに残ったビールを一気にあおった。
気の抜け始めたビールが、いつもより苦く感じた。
□ □ □
MOGRAのドアを開け外に出ると、朝焼けは既に終わり太陽が昇り始めていた。昨日の夕方から降っていた雨はすっかり止んでいたようだったが、道に大きな水たまりが出来ていて、朝日を受け光り輝いている。ボクが来たときよりも、だいぶ雨脚が強くなっていたのかもしれない。その間、ボクはずっとメインフロアで踊っていたわけか。なんだか長い雨宿りをしていたみたいだ。
サリュとボクは、少し歩いたところにある、高架下側の小さな公園の椅子に腰掛け、あとから合流するメンバーたちをそこで待つことにした。
太陽が上へと昇るにつれ段々と気温が上がっていくのを感じる。雨のお陰なのか空気が澄んでいるようにも感じた。休日の朝。街にはまだ人影は少ない。そして煌びやかな網膜広告も、煩わしい広告音声も体に入ってくることはなく、とても静かな朝だった。その光景はボクの知っている秋葉原の光景とは全く違って見えた。
ボクの左隣の椅子に座ったサリュは、どこか一点を見つめながら黙り込んでいる。恐らくインプラントでメンバーの誰かと会話しているのだろう。誰でも街中でやっていることだが、網膜に映し出されるイメージと脳内で会話しているその様子は、以前から魂の抜けた人形のようにも見えて奇妙だな、なんて思っていた。
サリュの目に生気が戻る。会話が終了したようだ。
「ユイさんが・・・・・・あ、ユイさんって、フロアにもいたんだけど覚えてないかな。ユイさんもメンバーと一緒に合流するみたいだけど、まだMOGRAのスタッフと話してるみたいで、もう少しかかりそうだって」
そう彼女がボクに告げたあと、しばらく沈黙が流れた。でもなぜかその沈黙が心地よかった。きっとボクも彼女も、この公園の空気に触れ、改めて昨晩の余韻を楽しんでいるんだと思う。数時間前のフロアの狂乱がウソのように、穏やかな時間が流れていた。
振り向くと、サリュは遠い目をしてどこかを見ていた。
そして「良かった。これが記憶できて」と、小さく呟いた。
ボクは「なにが?」と問い返したけど「なんでもない」とはぐらかす。
そしてまた穏やかな時間がしばらく訪れる。
しばらくそのまま二人で座っていたあと、空気を変えるようにサリュが話しかけてきた。
「あ・・・・・・そういえば紹介がまだだったね。こんなに長い時間一緒に遊んでたのに」
ボクは答える。
「・・・・・・確かに。でもキミの名前は知ってるよ。みんながサリュって呼んでた」
「サリュート。でもなぜか略されてサリュって呼ばれてる。改めてよろしくね」
サリュは右手を伸ばして握手を促した。それに答えるように、ボクは右手を差し出した。
「うん、よろしくサリュ。ボクは・・・・・・」
「あ、まって! TFFだとみんな本名は名乗らないの。パーティーの誰かがその人の呼び方を決めるんだって」
「そうなの? そんなルールがあるんだ」
「うーん、ルールっていうか、なんかそういうことになってるの。アタシもサリュートって誰かに付けて貰ったみたいだし」
「なにそれ。覚えてないの?」
「覚えてないっていうか記憶にないっていうか・・・・・・まあまあ、それはいいとして、とにかくそういうことになってるから、本名は言っちゃダメだよ」
サリュのその口ぶりがちょっと引っかかったけど、あまり気にしないことにした。
「キミを今日ここに誘い出したのはアタシだし、だからキミの名前はアタシが付けてあげる。・・・・・・キミの名前は・・・・・・ユウ、かな?」
「ユウ? なにそれ。ボクに「ユウ」って名前の要素ある?」
「あるある。なんか顔がユウくんって感じがするもん。最初にエントランスにきたときから、ユウって感じしてたし」
「なんだそれ。全然意味わからないよ」
そんなバカな会話をしながら笑い合うボクら。
ユウ、か。別に悪くはないけど、サリュートなんて変わった名前で呼ばれてる女の子から、そんな普通の名前が出てくるなんて、逆に意外でビックリした。
「オッケー。じゃあ今日からボクはユウってことで。よろしくサリュート」
「うん。よろしくユウくん」
そしてボクらは、互いの右手を握り合った。
さっきまで一緒に、同じフロアで溶け合っていた彼女の形を肌で感じたその瞬間、彼女と踊れたことを、とても嬉しく思った。
ボクはひとりじゃない・・・・・・なんて、安っぽい言葉だけど・・・・・・。
あの不思議なパーティーにボクを誘ってくれて、テクノを感じていた瞬間を彼女と共有できていたこと。それがなぜだか嬉しくて、すごい面白いことをボクらは体験したんだって、誰かに叫びたい気分になった。
彼女がいたから、テクノが、ボクにとって素晴らしい体験になっていたんだ。
そんなことを、彼女のはにかんだ笑顔を見ながら、ボクは感じていた
それからすぐに、TFFメンバーたちがやってきた。
彼らと合流したあと、そのままボクらは近くのファミレスへと向かう。
高く上がり始めた太陽の光が、疲労感の溜まったボクらの体に容赦なく照りつけた。
△ △ △
ねえ、サリュート。もうひとりの私。
サリュと、あのフロアでひとつに慣れた瞬間、わかったの。
常に孤独だった。
インプラントで連続性を保てても、朝になると私はやっぱりひとりだった。
なにもかも、誰かとなにかを共有することなんて一生できないと思ってた。
でもあの夜、サリュの耳を通して感じたテクノが、すごい嬉しかった。
初めてTFFのパーティーを記憶できたことよりも、あの空間をサリュと一緒に感じられたことが。そしてフロアのみんなと一緒に同じ空間を過ごしたことが。
なんだかあの日、嬉しすぎて、アタシ大分浮かれてたみたい。
彼・・・・・・ユウくんなんて名前、彼に付けちゃって・・・・・・。
でもサリュ、ホントに似てたんだよ。なんかエントランス入ってきた、気弱な感じとか。
それは二人の秘密にしておいてね。
× × ×
——レジスタンス、それはプログラミングされた心の解放、
それを仕組んだプログラマー達に対する闘争。
その武器は、テクノ。
マシングルーヴは心の解放をうながし、
マシンソウルが魂と魂を繋げあう。
繋がり重ね合った魂は、消して離れることはない。
それこそが、闘争だ——
終わり
踊り続けるだけ。それが全て。
Music Sounds Better With You
テクノを、音楽を・・・・・・まだ止めないで。 このまま、まだしばらくは・・・・・・。 この特別な時間の終わりを、まだ感じたくなかった。
テクノを、音楽を・・・・・・まだ止めないで。 このまま、まだしばらくは・・・・・・。 この特別な時間の終わりを、まだ感じたくなかった。
テクノを、音楽を・・・・・・ まだ止めないで。 このまま、まだしばらくは・・・・・・。 この特別な時間の終わりを、 まだ感じたくなかった。

Diverse System × 秋葉原重工
コンピレーションアルバム
コンピレーションアルバム
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DVSP-0263
全10曲収録
小説『Music Sounds Better With You』掲載
イベント: 1,500YEN / Shop: 1,650YEN
全10曲収録
小説『Music Sounds Better With You』掲載
イベント: 1,500YEN / Shop: 1,650YEN
- Infinite Space KEN ISHII
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- Heightened heart Shinji Hosoe
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- Designer clocknote.
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- Web Site toshiki_izumi
- Director Takayuki Kamiya
- Producer YsK439
- Special Thanks MOGRA, 秋葉原重工, ginrei